HOME
>
観光タクシー
>
たびの足 日本偉人伝
>
幕末時代・近世
鎌倉時代
|
室町・戦国時代
|
江戸時代
| 幕末時代・近世 |
薩摩藩主島津斉彬に取り立てられ江戸、京都で志士活動をするも、安政の大獄と斉彬の死を契機に入水自殺を図る。
2度の島流しを経験、召還後第1次長州征討では幕府側の参謀として活躍。以後、討幕へと方向転換をはかり、坂本竜馬の仲介で長州の木戸孝允と薩長連合を結ぶ。勝海舟とともに江戸城無血開城を実現し、王政復古のクーデターを成功させた。新政府内でも参議として維新の改革を断行。しかし、明治政府ができた途端、派閥争いと汚職が活発になるとともに何のための明治維新であったと心底国を憂えた。明治6年(1873)、武士の世が終わり全国で士族となった者たちの不満が募り、それを解決するために征韓論(韓国との戦争)を主張。全権大使として朝鮮に渡り、自分が殺されることで戦争の大儀名分を作ろうとするが、岩倉、大久保らの反対派に敗れ下野。明治10年(1877)郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)するが、政府軍に敗北し、自刃した。
西郷隆盛 ゆかりの地を辿る
モデルコース 鹿児島
約4時間30分
鹿児島市内・鹿児島中央駅〜加治屋町・西郷隆盛生誕地〜西郷南州翁宅跡地〜錦江湾(鹿児島湾)〜花倉・西郷隆盛蘇生の家〜武の西郷屋敷跡〜山下町・私学校跡地〜城山・西郷銅像〜西郷洞窟〜西郷隆盛終焉の地〜南洲墓地〜鹿児島市内・鹿児島中央駅
モデルコース 東京
約3時間30分
東京駅〜三田・西郷隆盛・勝海舟会見の地碑(車窓)〜西郷山公園〜皇居〜上上野恩賜(おんし)公園(西郷隆盛銅像)〜東京駅
南洲墓地:
南洲墓地には西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が眠っています。1877年(明治10) 岩崎谷で戦死した西郷以下40名を仮埋葬したこの地に、その2年後、市内各所に 埋葬されていた遺骨を移し、さらに6年後には、宮崎・熊本・大分の各県からも 集められました。 墓石は正面に西郷隆盛、左手に
最後まで奮戦した桐野利秋、右手には篠原国幹、 他には村田新八、辺見十郎太、別府晋介、桂久武など幹部が並び、鹿児島県令(知事) として西郷を支援し処刑された大山綱良や、わずか14歳にして戦場に消えた伊地知・ 池田両少年、兄弟5人が討ち死にした児玉兄弟、県外出身者の名も見られます。
平長州藩の上士の家の長男として生まれる。藩校明倫館で学んだ後、吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、久坂玄瑞とともに松下村塾の双璧と称え称される。
江戸遊学などを経て、文久3年(1863)萩藩外国船攻撃の際、登用されて奇兵隊を結成し、外国勢と戦う。元治元年(1864)四国連合艦隊との講和において正使として活躍。第1次長州征討の後、藩論を討幕に転換し、慶応2年(1866)薩摩藩との間に薩長連合を締結。同年6月第2次長州征討で指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ったが、翌年馬関で病死した。
辞世の句は「おもしろき こともなき世に おもしろく」
高杉晋作 ゆかりの地を辿る
モデルコース
約3時間30分
下関駅〜白石正一郎旧邸跡〜了円寺〜厳島神社〜高杉晋作終焉の地〜東光寺〜日和山高杉晋作像〜壇ノ浦砲台跡〜国宝功山寺〜下関市立長府博物館〜下関駅
国宝功山寺:
鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており国宝に指定されています。明治維新の転機となった高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、数多くの幕末ファンが訪れます。
土佐藩郷士。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」などによって、国民的英雄とり生前より死後に有名になった。1853年江戸の北辰一刀流千葉定吉に師事。剣士として知られる。1861年武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加。1862年脱藩して江戸へ出、勝海舟の門下生となり、神戸海軍操練所建設に尽力。その後貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、また幕府倒幕の為、薩長連合締結に努力し、西郷隆盛と木戸孝允の盟約に立ち会った。1867年6月大政奉還の原案となる独自の国家構想をまとめた「船中八策」を後藤象二朗と長崎から海路上京する船で作成する。同年11月京都の近江屋で暗殺される。犯人は諸説あり未だ謎である。
※「日本で初めて株式会社を作った男」「日本で初めて新婚旅行に行った男」としても知られる
坂本龍馬 ゆかりの地を辿る
モデルコース 高知
約6時間30分
高知市内〜田中良助旧邸資料館〜高知城・懐徳館〜龍馬郵便局〜坂本龍馬誕生地の碑〜坂本家墓地〜坂本龍馬記念館〜桂浜・坂本龍馬記念館〜
モデルコース 京都
約6時間
京都駅〜寺田屋〜霊山歴史館〜明治維新史跡坂本龍馬のお墓〜三年坂・ニ年坂〜壬生寺〜京都市内
田中良助旧邸資料館:
龍馬が足を運んだ建物で、高知県内で現在も形として残っているのはここだけと言われている貴重な史跡。坂本家が所有する坂本山の山番や所有地の領地組頭を務め、龍馬とも深い交流があった田中良助の屋敷を修復。
佐賀藩の下級武士江藤家の長男として生まれる。年少の頃から成績優秀であった。明治新政府において法律の整備に全力を注ぎ、その仕事の成果から日本の近代司法制度の生みの親となり、身分差別がまだ激しい時代に人権擁護の立場を取り、民主的な政治家として激しく改革を推し進める。征韓論で敗れ下野後、、1874 年1月10日に愛国公党が結成され、同12日民撰議院設立建白書に署名。佐賀に戻ると、佐賀征韓党首領として擁立され、「佐賀の乱」の首謀者として、司法省時代の部下であった河野敏鎌によって裁かれ、処刑・梟首された、享年41。 梟首された写真を撮られ全国の県庁で掲示され、その写真は現在に至るも残っている。
江藤新平 ゆかりの地を辿る
モデルコース
約5時間
佐賀駅〜佐賀城本丸歴史館〜大木喬任生誕地〜龍造寺隆信生誕地〜副島種臣生誕地〜高伝寺〜本行寺〜築地反射炉跡〜精煉方跡〜藩校弘道館跡〜微古館〜佐嘉神社〜大隈重信旧宅・・・大隈記念館〜佐賀駅
佐賀城本丸歴史館:
日本の近代化を先導した"幕末・維新期の佐賀"の魅力やエネルギーをわかりやすく紹介する佐賀県立佐賀城本丸歴史館。建物は、幕末期の佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元して建てられており、木造復元建物としては日本最大の規模を誇る。
福島県現・猪苗代町に野口佐代助、シカの長男として生まれる。野口家は代々貧農の家系であった。幼名は清作。 1歳の時に囲炉裏に落ち、左手を大火傷する。医師にかかることが出来ず癒着。「手ん棒」(隻腕の人物に対する世俗的呼称)と呼ばれる。独学で勉学に励み、20歳で医師免許を取得。北里伝染病研究所などので勤務後、1904年渡米しロックフェラー医学研究所に職を得る。 1911年、「梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」と発表。一躍、世界の医学界に名前を知られることになり、1914年、1915年とノーベル医学賞候補となった。ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染。野口英世は「私には分からない」という言葉を口ずさみ、51年の生涯を閉じた。
野口英世 ゆかりの地を辿る
モデルコース
約4時間
会津若松駅〜野口英世青春館〜野口英世生家〜猪苗代・野口英世記念館〜磐梯熱海温泉
野口英世青春館:
野口英世が書生となり、医学への道を踏み出した曾陽[かいよう]医院の2階が青春時代を偲ぶ資料館。資料館のある通りは、一部がレンガ造りに整備され野口英世青春通りと呼ばれる。
江戸の牛込馬場下で数代前から続く町方名主、夏目小兵衛直克の末子として出生。1884年、東京大学予備門予科(明治19年4月、第一高等中学校に改称)に入学した。同級には、正岡常則(正岡子規。やがて親交を深め生涯の友人となる)。帝国大学英文科卒業後、松山中学などの教師を務めた後、イギリスへ留学。帰国後東大講師を勤めながら、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』などを書く。その後朝日新聞社に入社し、『虞美人草』『三四郎』などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。持病の胃潰瘍が悪化し、修善寺に療養するが大正5年(1916年) 12月に胃潰瘍のため他界する。享年49歳。
夏目漱石 ゆかりの地を辿る
モデルコース
約4時間
松山駅〜子規堂〜石手寺〜松山東高校〜松山市立子規記念博物館〜からくり時計〜宝厳寺〜道後温泉
宝厳寺:
門から境内にかけての参道両側は歓楽街・ネオン坂。漱石が『坊っちゃん』に「山門のなかに遊郭があるなんて前代未聞」と描いたように、かつての花街の雰囲気が今も残っている。
松山藩士、正岡常尚、八重の長男として生まれる。松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)入学。のち上京。東京大学予備門(のち第一高等中学校 )へ入学。夏目漱石、山田美妙、尾崎紅葉、寺石正路などが同級。俳句を作り始める。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。享年34 子規は野球の名付け親の1 人でもある。
正岡子規 ゆかりの地を辿る
モデルコース
約4時間
松山駅〜子規堂〜石手寺〜松山東高校〜松山市立子規記念博物館〜からくり時計〜宝厳寺〜道後温泉
子規堂:
正宗寺(しょうじゅうじ)内に俳人・正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平家建の建物。子規が使っていた机や遺墨や遺品、写真など約100点を展示している。子規堂前の広場には現存する最古の軽便機関車「坊っちゃん列車」がある。
北海道
|
東北
|
関東
|
東京
|
甲信越
|
東海
|
北陸
|
関西
|
京都
|
中国
|
四国
|
九州
|
沖縄